ぢつは如月はこんな歳なんですよね……
節目にあって
人生においての、とある節目を迎えて、今一度「自分とは?」という考えに及ぶことがある。これは、ここ数年意識的に避けてきた、大きな問題である。
何で避けて来たかって?そんなのは簡単なこと。@鬱になるから。或いはAストレスが溜まるから。とにかく、考え出すと限がないし、そう簡単に答えが見つかるわけもなく。結局のところ、忙しい毎日に埋没していれば、そんなこと考えなくたって生きていけてしまうので、忘れてしまっているのだ。
むしろ考えるだけ、未熟な私じゃ無駄なのかもしれない。――――馬鹿の考え休むに似たり。
けど、せっかくの節目なんだから、なんとなくでも考え直したくなった。
だから、脆弱ながらも、自前でページを抱えて約半年、自分ってものがどれくらいこの不確定な世界に存在するものかと検索してみた。
そこで、同姓同名の人が意外と多いことに気づく。
弁護士、医者、美容師、そして学生の自分。様々なところに自分と同じ加納寛之と言う名前を持った人がいる。
寛之という、名付けられた、たった2つの漢字で構成された名前は同じだが、各々その2文字に対して込められた意味や思いというものは違うものだと思う。
確かに、この名前は画数的に苗字との相性に良いらしい。また、音の響きが良いとものの本に書いてあった。そういう理由で名付けられた人もいるのだろう。
私の場合、私の尊敬する五木寛之先生からこの名前は名付けられた。
両親は五木先生のように、人の記憶に、そして心に残るような文章を残せる人になって欲しいと、この名前を私に付けた。
今、私は、両親の願いそのままに、公私を問わず、文章を書く活動に携わっている。実のところ、両親からそんな話を聞かされる前から、私は文章を書くことに携わっていたのだが。今更そんなことはどうでもよい。
では、なぜ、私がこんなPNで文章を書くようになったのだろうか、今一度思い出してみる。
もう、良くは覚えていないけど、寛之という名前で文章を書くことに引け目というか、何か大きなものを感じていたのだと思う。今でもそういう感覚は少なからず残っているし、やはり今の拙い自分の文章を眺めるにつけ、まだまだ寛之という名前を背負って文章を送り出すことは出来ないと感じている。
――――まぁ、そうはいいながら、本名でサイト出してるんだけどね。
それに、未熟な私は、誰かに求められないと自分の存在に理由がつけられないままでいる。自発的に自分ってものを見出すことが出来ずにいる。そんなままでちょっと大きすぎるこの名前背負って進んでいくのはまだまだ難しいんじゃないかって感じることがある。
だから、自分で納得の出来る文章を送り出せるようになるまでは、もう少しこの名前に甘えていようと思う。
あとどれくらいの付き合いになるのか、想像するのは難しいけど。いつかはちゃんと胸張って寛之という名前を背負って進んでいきたいと思ったお誕生日の深夜でありました。
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