Kanon アフターストーリー 美坂 栞 編
―0―
今になってみれば、長い一ヶ月だった。たった28日しかないこの月を、今まで18年間生きた中で、一番長く感じた。いや、あの冬以来かな。
1月最後の日、あいつは俺の前から消えてしまった。あの日から続く苦しい日々。
「逢いたい」
いくら願ってもそうは出来ない辛さを、心底味わった。
あいつだって同じ辛さを味わったに違いない。見えない明日と戦いながら。
けど、あいつは帰ってきた。
「奇跡なんて起きない」そういっていたあいつに、奇跡は舞い降りた。

もうすぐ春がやってくる。もう二度と迎えられないと思っていた季節が。
お姉ちゃんは、また私を妹としてみてくれるようになった。もう、二度と見られないと思ってたあの優しい笑顔がまた見られた。
1月の最後の日、私は大好きなあの人に「さようなら」と告げた。二度と逢えないとわかっていた。でも、そんなことはないと信じたかった。そう強く想いながらも、私は自分の運命を受け入れたはずだった。
ベッドの上の一ヶ月は、ほとんど覚えていない。ただひとつ、
「もう一度逢いたい」
そう思い続けたことを除いては。

2月が終わる。色々な事があった。
あの子は、自分との戦いに勝った。どんなに苦しくても、あの子の心の中には大きな支えがあった。
「あの人に逢いたい」という気持ち。
いつのまにか彼は、彼女の心の大きな支えになっていた。
私じゃあんな強い感情は引き出せなかった。ちょっと悔しかった。
悔しい。けど、感謝はしている。
あの子の笑顔にまた逢えたから。
もう一度あの子を好きになることが出来たのだから。

―1―
雪もすっかり解け、春がもうそこまで近づいている。冬の間は誰も近寄らなかったこの中庭にも、人が増えはじめている。風はまだ冷たいが、日差しは春のものだった。
そんな中、俺は中庭で栞と2人昼食をとっていた。
「なぁ栞。ちょっと訊いていいか?」
「はい。何でも訊いてください。」
「あのさ……結局……」
何でも訊いていいとは言っているが、訊いていいことと悪いことはある。訊きたいことは山ほどあるけど、本当に訊いていいのか、俺は迷っていた。
「私の病気は何だったのか。ですよね。」
「ああ、そうだ。でも……」
いまさら話を聞いたからって、俺が栞にしてやれることは少ない。それでも俺は栞の話を聴いてやるべきなのだろうか。
「訊いてくださってかまいませんよ。むしろ聴いて欲しいです。」
栞は語気を強めてそう言った。
「祐一さんには聴いて欲しいんです。」
さっきとうってかわって、顔を赤らめて言う。
「祐一さんは、命の恩人みたいなものですし。それに・・・・・・」
「それに?」
さらに栞の顔が赤くなる。
「ゆういちさんは・・・・・・その・・・・・・私の・・・・・・」
「大切な人だ。」
「・・・・・・はい。って、それは私の言うことで・・・・・・あぁっ!」
俺の一言に慌てふためくあまり、俺の向かいに座っていた栞は、前のめりになって、俺の方へ倒れこんで来る。
「ごめん・・・・・・なさい。」
「俺はこのままでも構わないけどな。」
「そうですか・・・・・・でも、ちょっと恥ずかしいです。」
俺は栞を抱きしめたまま芝生に座っている。
「なんだか、この前のことを思い出すな。」
「わたしもです。それに、祐一さん。あったかい。」
華奢な栞の体を抱きしめていると、ついいけないことをしたくなってしまう。
「祐一さん。どこに手を伸ばしてるんですか?」
「うっ。見えてたのか。」
「背中のあたりでわかりますよ。」
抱きとめたときには、手は栞の頭をなでるようにおいていた。だが、俺のスケベ心は、ついその手を背中へ、さらに下のほうへ伸ばそうとしていた。
「エッチなこと考えてましたね。」
「そんなことは・・・・・・ない。」
当然嘘だが、陽の高いうちから、変な気持ちになってしまうのもよくない。
「それより、栞。話してくれないか。この一ヶ月の間にあったこと。」
「話し逸らしてませんか。」
「まさか。俺は栞の話を早く聴きたいんだ。」
「でも、祐一さん……」
話すのをためらう栞。理由にはすぐ気づいた。
「この姿勢では、ちゃんと話せません。」
俺は栞をしっかりと抱きとめたままだった。

「結局、難しすぎて病気のことはよくわからなかったんです。」
まるで他人事のように話し出す栞。
「ただ、難しい手術を必要とする。ということだけはわかりました。
でも、その難しい手術で治るかというと、それも難しいことだったみたいです。」
栞は俺のほうに向きなおす。
「もし、治るかどうかもわからないのに、そんな難手術を受けろといわれたら、祐一さんならどうします?」
「まぁ、怖くて受けられないだろうな。難しいって言うことは、失敗もありえる。ってことだろ?」
「私もそう思ってました。
手術したって治るわけない。奇跡なんか起きない。失敗するんだ。って考え始めたら、受けるの嫌になってました。
このままでもいい。苦しい手術をして、ベットに縛られるくらいなら、残り少ない時間だろうと、何とかして楽しんでやろうっ。って思ったんです。」
そう言う栞の顔には、そのときの悲壮な決意の跡が見て取れた。
「でも、それも上手くいきませんでした。確かに一時の小康を保てて、学校にも行けるかもしれないって状態になりました。
でも、そう思えば思うほど、私から遠ざかってゆくものがありました。」
「……香里か。」
「はい。
私が学校にいくんだ。あの制服をもう一度着るんだ。って話すたび、お姉ちゃんは悲しそうな目で私を見ていました。
私、お姉ちゃんに笑って欲しかったから、一生懸命笑顔でいたんです。でも、それが、私の行く末を知るお姉ちゃんには負担になってたんですね。」
栞がうつむく。
「ここからはいつかお話したとおりです。ひとりぼっちになって、死のうって決めて。」
「あの日。公園の並木道で俺と出逢ったんだな。」
「はい。」
ここまでは、いつかも聴いたことだ。俺は、そこから先が知りたかった。
「もうひとつ訊くぞ。なんで、栞がいなくなったのはあの日だったんだ?」
「それは、さっきお話したように、私は受けるべき手術を拒んでたんです。
だから、お医者様はこのまま何もしなければ、次の誕生日まで生きられるかどうかわからない。といったんです。
受ける決心が沸くわけでもありませんし。このまま死んでしまってもいいとさえ思ってたんですから。
でも・・・・・・」
「でも?」
「祐一さんと出逢ってから、少しずつ変わっていきました。
祐一さんを好きになればなるほど、離れたくない。一緒にいたいと思うようになりました。
祐一さんが私に手術を受ける決心を与えてくれたんです。」
「そういわれると何だか恥ずかしいな。」
「恥ずかしいことはありませんよ。私にとっては大事なことなんですから。
それに、2月1日は手術のために入院する日だったんです。その日になったのは、まったくの偶然ですよ。だからその日まで。ってわけです。」
「それからは?」
「あまり良く覚えていません。何日も、いろんな検査をして、たくさんの薬をのんで、点滴もいっぱいして、それでやっと手術を受けられたんです。」
「成功したんだよな?」
「当然です。でなきゃ、私ここにいません。
でも、大変な手術だったのは確かなようです。私ずっと眠ってましたからよく覚えてませんけど。手遅れ寸前だったみたいです。」
栞は、明るい顔で恐ろしいことを口走る。
「苦しいのはその後でした。切ったところは痛いし、身体にちゃんと力が入らないからベットから起きることも大変なんです。
祐一さんに逢いたい。ってどんなに思ってもそこから一歩も動けないんですよ。
想像してみて下さい。消毒液の匂いは嫌いじゃないですけど、静かな中に機械の音だけが響いて、真っ白な天井と床の真ん中にベットがあって、首をやっと動かせたかと思うと窓の外まで真っ白なんですよ。このときだけはちょっとだけ雪が嫌いになりました。」
確かに俺なら我慢できなくて気がどうにかなりそうだ。そこに栞は一ヶ月近くいたわけだ。
「でも、祐一さんに逢いたい。って思ったら、それもへっちゃらでした。」
「それは嬉しいな。それに、俺だってずっと思ってた。栞に逢いたいって。」
俺もここ一ヶ月のことはほとんど覚えてないが、これだけは確かだ。
「そう思ったとき。祐一さんは苦しかったですか?」
「あぁ、今まで感じたことがないくらい苦しかった。もうあんな目には遭いたくないな。」
「それじゃぁおあいこです。」
「あぁ。」
「そして、改めて約束します。」
「何を?」
「もう祐一さんに辛い思いや心配はさせません。私がんばります。」
「そうか。よろしく頼むぞ。あんまり頼りがいないけどな。」
久しぶりに俺はあの一言が聞きたかった。
「うぅ。そんなこという人嫌いです。」
今に限っちゃ、そりゃ俺の台詞だ。そういうことは俺から言わせて欲しかった。
でも、これからも栞といられると改めて実感すると、なんだか嬉しくなった。

「それじゃぁ、ちゃんと話をしてくれたお礼をしないとな。」
「本当ですか?」
栞は相当喜んでいるようだ。まぁ、俺はめったにこんなこと言わないから、無理もないか。
「あぁ、本当だ。何でも言ってくれ。」
「じゃぁ、祐一さんの作ったお弁当が食べたいです。」
「無理だ。次いってみよう。」
即答だ。自慢じゃないが料理はほとんど出来ない。
「じゃぁ、前に約束した手編みのストールは?」
「だめ。編みあがった頃には、もう夏が来てるだろ。」
再び即答した。またあの台詞が飛び出す頃だ。
「では、頼まれ事されてください。」
予想と違う台詞に驚きながら栞を見ると、何かチケットを差し出してきた。
「日曜日、このチケットを持って駅前の映画館に行ってください。」
栞は封筒を差し出した。中には、週末から公開される話題のアクション映画のチケットが2枚入っていた。
「2枚ってことは、俺と栞の2人で行くってことだな?」
「残念ですが、その日はどうしてもはずせない用事があって、いけないんです。」
そういって栞は、残念そうに首を横に振った。
「ただ、ちゃんと代役を立てますから、その人と観てきてください。」
唐突な申し出に、どういうことだかよく理解できない。
「代役って誰なんだ?」
「大丈夫です。祐一さんもよく知ってる人ですから。」
よく知ってる人って誰だ? そんなの数少ないぞ。名雪か? まさか北川か?
「で、誰なんだ。」
「それは当日までのお楽しみです。」
何かを隠しているというのはバレバレだが、何を隠しているのかがいまひとつ読めない。こうなれば素直に訊くまでだ。
「なんか隠してないか?」
「そんなことないですよ。映画のチケットが2枚あって、本当は祐一さんと一緒に行きたかったんですけど、用事があるから行けなくて。それじゃぁ折角のチケットが勿体無いですから、代役の人と観てもらおうと思っただけですよ。」
もっともなことを言うのだが、何かおかしい。
「次の日曜じゃないとだめなのか?俺は暇だから別の日でもいいんだぞ?」
「それが…… そのチケット、次の日曜にしか使えないんです。」
よく見れば、チケットには次の日曜日、3月1日の日付と上記期日のみ有効と注意が書かれていた。どうやら、何かのサービスチケットらしい。
「それじゃ仕方ないな。んで、お前のはずせない用事ってのはなんだ?」
栞はちょっと困った顔をして、ちょっと考えるようなしぐさをした。
「それは秘密です。何か疑ってるみたいですけど。私、祐一さんを騙したりしようとか思ってませんよ。」
「そこまで言われたら、頼まれるしかないか。」
怪しいことだらけだが、ここはひとつ栞を信用するか。
「では。午後1時に駅前の映画館で待っててくださいね。お願いします。」
栞は嬉しそうにそういうと、お弁当箱を片付けて、教室に戻っていった。

―2―
名雪を起こさなくてはならない平日と違って、その必要のない日曜日は、のんびり起きることが出来る。
とは、いっても。まだ肌寒いせいか、いつもと変わらぬ時間に起きてしまった。
着替えて、リビングに行ってみると、珍しく名雪が早起きして、いそいそと何か準備をしていた。
「名雪。どっか出かけるのか?」
「うん。午前中は、香里と買い物に出掛けるの。」
名雪はバックの中を確かめながら、振り向きもせず答えた。
「午前中って、午後はどこ行くんだ?」
「午後はお母さんと商店街で買い物だよ。 香里、午後は別の用があるみたい。」
栞も、午後は用事があるって言ってたから、多分同じ用事なのだろう。
「栞ちゃんと映画観に行くんだって。祐一、栞ちゃんから何か聞いてないの?」
「映画? 駅前の映画館でか?」
「うん。香里はアクション映画がすごく大好きなの。それに栞ちゃんが誘ってくれたんだって。祐一は誘ってもらえなかったんだね。」
何か怪しい雲行きだ。栞が何を隠していたのか少し解った気がする。
「祐一は? 今日はうちにいるの?」
「いや、昼過ぎに出かける。午後に待ち合わせをしてるんだ。」
いらぬ誤解を招きたくないので、チケットのことは伏せた。
「誰と?」
「それは秘密だ。」
あっさり答える。あまりツッこまれても困るからな。
「浮気?」
「なんでそうなる!」
「だって、栞ちゃんは香里と映画に行くんだよ。だったら誰と出かけるの?」
名雪は、明らかに面白がっているようだ。さらに問い詰めてくる。
「だから、秘密だ。」
「話さないのなら、香里に話しちゃおうかな。」
「うっ。それは待ってくれ。栞に話されるより厄介だ。」
はっきり言って、香里はかなりのシスコンで、栞のこととなると全くの別人になる。栞に何かあれば、俺の命はない。
「じゃぁ、教えて。」
迷った挙句。「やっぱ、秘密だ」といって、俺はリビングから退散した。
しばらくして、階下から「行ってきます。」と、名雪の声が聞こえた。
それを聞き届けてから、再びリビングに戻った。そこに秋子さんが顔を出す。
「あら。祐一さんは出掛けないの?」
「午後から出掛けるんで、その前に何か軽くとっておこうかと。」
「そう。 私も少しお腹が空きましたから。お茶にでもしましょうか?」
「すみません。いただきます。」
秋子さんはキッチンに戻っていった。程なくして、ポットとたくさんのホットケーキを盛った皿を持って、秋子さんはリビングに戻ってきた。
「ホットケーキなんて、ちょっと子供過ぎたかしら。」
「そんなことないですよ。それに、とっても美味しいです。」
秋子さんの料理は美味い。このケーキも、並みのレストランでは敵わない。
「ありがとう。祐一さん。 このジャムもいかがですか。」
と、言って秋子さんは、あの不自然に鮮やかな色をしたジャムを差し出してきた。
「いやぁ、このシロップがなかなか美味しいんで。これで十分です。」
あのジャムは一度食べると、1週間は生きた心地がしなくなる。今は勘弁だ。
「そうですか。残念ですねぇ。」
残念そうにビンを戸棚に戻す秋子さんには申し訳ないが、程よく時間になったので、出掛けることにした。

―3―
「そういえば、待ち合わせって、相手も分らないのにどうすればいいんだ?」
至極当然の事に今更気付いた。栞曰く、俺がよく知っている人物らしいが、1時に映画館前ということ以外聞かされていない。その、よく知っているという人物と俺は会えるのだろうか。
「相沢君。なに難しい顔してるの?」
栞と映画を観るはずの、香里が現れた。
「香里こそ、なんでこんな所にいるんだ? 名雪はどうした。」
「名雪?知らないわよ。なんで?」
「午前中はお前といたんだろ。」
香里は、驚いたような顔をした。
「そんなことないわよ。今日は会ってないわ。午前中は家にいたし。」
「名雪は、お前と買い物するって出かけたぞ。」
「名雪が嘘ついた・・・・・・変ね。それより、なんで一人でここにいるの。 栞は?」
疑うような目で、香里は俺を見据えた。
「今日は用事があるって言ってたぞ。」
「今朝。あなたと出掛けるって言ってたわ。それが用事じゃなかったの?」
「いや。俺も栞には会ってないぞ。栞も嘘をついているってことか。」
お互いに、おかしなことが多すぎる。まず、名雪と栞。あの二人が俺や香里に嘘をつくなんてあまり考えられない。
「そういえば、栞がこないわ。」
「あぁ。栞と、この映画観るんだったな。」
「相沢君。なんでそんなこと知ってるの?」
香里は、驚いた表情で俺を見た。
「今朝、名雪が話してたぞ。」
「どうして名雪が知ってるの?私は昨日の夜誘われたのよ。その後、名雪と話なんてしてないわ。」
なんとなく、栞のお願いの内容がわかってきた。
「本当か?」
「嘘をついても仕方がないでしょ。」
「それもそうだな。」
時計を見れば、もうすぐ上演時間だ。何気なく香里に尋ねてみた。
「香里。チケット持ってるか?」
「いいえ。栞が持ってきてくれるって言ってから。持ってないわ。」
これでわかった。栞が言う、俺のよく知っている人とは、香里で間違いない。
「奇遇にも、俺がチケットを2枚持ってる。どうだ?」
「どうして2枚も? 相沢君1人なのに。」
「何かの偶然だ。栞も来ないことだし、一緒に観よう。さぁ。」
そういって、俺は香里の手を引いて、歩き出す。
「ちょっと、待って相沢君。答えになってないわ。」
「それに……」
香里が、手を引かれながらも、不審そうな目で再び俺を見据える。
「それに?」
「なんで栞は来ないってわかるの?」
「それは企業秘密だ。」
ごまかすように言って、2人で映画館の中に入った。

―4―
2時間後、俺と香里は映画館の前にいた。
「楽しかった。スクリーンで見る映画なんて、久し振りだったから、ちょっと興奮しちゃったわ。」
映画は、アメリカの有名アクション俳優が、近未来の世界を舞台に大立ち回りを演じるものだった。迫力と、スピード感のある格闘シーンを謳い文句にしているだけのことはあった。
「そうだな。それにしても、香里がこういう映画を観るとは思わなかった。」
「そう。意外? 誰かさんとは違って恋愛モノはあまり見ないのよ。私。」
「そっか。そりゃ残念だ。」
その誰かさんが、一体何を考えているのか。よくわからないままだ。だが、映画も観たし、「じゃぁ、また明日な」というのは、おかしい気がしてきた。
「相沢君。」
「なんだ?」
「このあと暇?」
なんだか先が見えてきた。
「あぁ、特に用事はない。」
「それじゃぁ、栞も来ないみたいだし。代わりに栞との約束を果たしてもらおうかしら。」
そういうことか。栞は、俺に、香里と出掛けろというんだな。
「どうして俺なんだ?」
「相沢君だからよ。」
「???」
「ふふふっ。深い意味はないわ。折角だから付き合ってくれてもいいでしょ。」
「俺でいいのか?」
香里は、また「ふふふっ」と笑って、答えた。
「可笑しなことだらけだけど。よく考えれば、あなたでいいよのよ。」
「その言い方は気になるが。まぁいい。で、どこに行くんだ?」
「決まってるでしょ。商店街よ。ほかに行く所ある。」
「ごもっとも。しかも百花屋なんだろ。」
「わかっていればよろしい。行くわよ。」
今度は、俺が香里に連れて行かれる番だ。
2人は、夕暮れ近い商店街へと吸い込まれていった。

―5―
カランと、カウがいつもの涼やかな音を鳴らして、2人は店内に入った。
日曜の午後だけあって、カップル、家族連れ、学生のグループと、様々な客で店内は混み合っていた。だが、運良く、窓際に空いている席を見つけて座った。
2人とも飲み物を注文して、一息ついた。
「香里。」
「なに?」
何か軽食を取ろうかと、メニューを改めて眺めている香里に問い掛けた。
「さっき、よく考えれば俺でいいんだ。といったな。」
香里は、メニューから目を外し俺を見た。
「そうだけど。それが?」
「昨日、栞がお前を誘ったとき、何か変な素振りはなかったか?」
「そうね、確かに。はしゃぎすぎてたようにも見えたわ。」
「ほかには?」
「『相沢君はいいの?』 って聴いたら、『うん。いいの』って答えたわね。あの子にしてはあっさりした反応だった。」
「何がおかしいんだ?」
「あの子、相沢君の話になると反応がまるっきり違うの。わかりやすいのよ。」
なんだかそういわれると、俺まで恥ずかしい。だがひとつ気づいた。
「名雪も今朝、知っている筈のない約束の話をしてた。それに、俺が映画に誘われてないのを知ってるような口ぶりだった。」
2人は顔を見合わせた。
「まさかな。」
「まさかね。」
2人顔を見合わせて笑う。
「でも・・・・・・」
香里がこちらを向いて話し出す。
「こうして向かい合って話してると、周りからはどう見えるのかな?」
「えっ?」
「なんでもないわ。ただちょっとね。」
俺から視線を逸らす香里。窓越しの夕日を浴びて、いつもに増して大人っぽい気がした。
「ちょっと何なんだ?」
「栞に見られたらどうなるなぁって。」
「なっ、なに言ってんだ。大丈夫だよ。これくらいじゃぁあいつは怒らないぞ。」
「どうかしら。あれでも私の妹よ。」
「大丈夫だって。この前ちゃんと約束したし。」
慌てふためく俺に香里は楽しそうに質問を繰り返す。
「何を約束したの?」
「それは2人の秘密だ。」
そういう俺を見て香里は笑い出した。
「ふふふっ。あなたたち本当にそっくり。その慌て方といい。二人の秘密だ。って言うところといい。」
「そっ、そんなことない!」
「そうやって否定するのも一緒。」
「そんなこというやつ嫌いだ。」
そう言ってから気づいた。香里は涙を目にためて笑ってる。これじゃ香里の思うつぼだ。
「あはははっ。相沢君栞に似てきてるわよ。栞があなたに似てきたのかもしれないけど。」
「大きなお世話だ。」
「それにしても何か・・・・・・」
笑いの収まった香里が言う。
「こうやって2人笑いながら話してると。恋人同士に見えるものかしらね。」
「いきなりなに言い出すんだ。」
「大丈夫よ。間違っても栞からあなたを獲ろうとか思わないから。」
あの・・・・・・発言がとっても怖いんですけど。
「軽い冗談よ。真に受けないの。」
「はい。そうさせていただきます。」
一番あっては怖いことを言われたような気もしたが、ないと否定されたのでそのまま受け取っておく。下手なことを返せばさっきの二の舞になるはおろか、さらに大変なことになりかねない。
「失礼します。」
店員がやってくる。だが、頼んで物はそろっている。しかも見慣れた制服のウェイトレスではない。運んできたのはコック帽をかぶった、コックだ。
「あちらのお客様から、プレゼントだということでお持ちしました。」
そういって、目の前にバケツ見たいな器が置いた。
「これは・・・・・・ジャンボミックスパフェデラックス。3500円。」
かつて、俺を恐怖に陥れた一品だ。しかしその真ん中には、チョコレートの板に、『香里おねぇちゃん誕生日おめでとう』と、今日の日付とともに記されていた。
「金額はともかく。いったい誰がこんな真似を?」
俺と香里は、コックの示したほうを見た。
「あれっ?おっかしぃなぁ。 お二人がいらした時はいらっしゃったんですが。」
示されたテーブルには誰も座ってなかったのだ。
「もしかして、小柄で、チェックのストールを羽織った子?」
「それと、いつでも眠そうな目をした猫好き。」
「猫好きかどうかはわかりませんが、2人でした。ストールを羽織っている方は間違いないです。お二人がいらっしゃる30分ほど前にいらして、ご注文なさって、お二人がお座りになるのを見て、こちらに届けてくれと。」
コックは、ちょっと困ったような顔で答えた。
だが、やっと栞と名雪が嘘をついた理由がわかった。
「マスター。」
後ろから女性の声がすると、コックがそちらに振り向き、顔を明るくさせた。
「お客様そんなところに。」
「あっ! マスター言っちゃだめです。」
「栞ちゃん。声が大きいよぉ。祐一と香里に聞こえちゃうって。」
すぐ後ろの席から、二人の声が聞こえてきた。
「栞、名雪。十分聞こえてるぞ。」
「し〜お〜り〜。出てらっしゃい。名雪もよ〜」
『はぁい。』
栞と名雪は、しぶしぶ俺たちの前に姿をあらわす。
「お姉ちゃん。騙したりしてごめんね。」
「実は、栞ちゃんと学校でばったり会ってね、もうすぐ香里の誕生日だねって話になってね。それで2人で思いついたの。」
「お姉ちゃん、この前私に隠れてドラマの再放送見て、ため息ついてたでしょ。
聞こえちゃったの。栞がうらやましいわ。って言ってたの。」
「私もね、香里が祐一と栞ちゃんが一緒のところ見て、うらやましそうにしてるの見ちゃったの。」
「2人とも何いってるの!」
香里の顔が急に真っ赤になった。さっきの発言はそういうことか。
「祐一さんとのデート楽しかった?」
「実は、2人手を繋いで映画館に入るの見ちゃったんだよね。」
「ちょっと待て、お前ら俺たちをつけてたのか?」
「はい!手繋いでるのもしっかり見ました。」
「私は、祐一が香里に変なことしないように見張ってるつもりだったんだけど。」
しまった。まさか2人が見てるとは思わなかった。それにしても。俺ってそんなに信用ないのか?
「祐一さんも楽しかったみたいですね。」
「香里と楽しそうに話してたもんね。まんざらでもなさそうだった。」
「祐一さん本当ですか?」
「なにいってる。俺は栞一筋だ!」
場所を考えず。つい大きい声で言ってしまった。
「祐一怪しい。」
「恥ずかしいです。・・・・・・その・・・・・・嬉しいですけど。」
そこに顔をさらに真っ赤にした香里が呟いた。
「楽しかったわよ。」
「えっ?」
「本当。お姉ちゃん?」
「でも、誰かさんたちのお陰で、ちょっと興ざめしたけど。」
そう言ったときには、香里の表情はいつもの表情に戻っていた。
「まさかあなたたちに騙されるとは思わなかったけどね。」
「だから香里ごめんって。」
そういっている名雪の目が、テーブルに向いた。
「そう。ところで、このパフェはどうするの。香里? 祐一?」
かくして、今度は4人であの巨大パフェと戦うことになったのだった。

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